1949年あたりから占領後を想定した動きがメディア界でもはじまっていたが、51年の民放ラジオの発足は占領後の新しい時代の息吹を感じさせるものであった。さらに53年のテレビの誕生は、新しい時代の到来そのものであった。1953年2月、NHKは受信契約886件を対象にして1日4時間のテレビ放送を開始した。この年の8月に開局した日本テレビ放送網(NTV)は広告収入のみに依存していたため、経営が成り立つか疑問視されていた。ところが化粧品、薬品、家庭電器、時計など幅広い業種が、この新しい広告メディアに注目し、積極的に広告を出した。NTV側も街頭テレビを主要都市の駅前に設置して、スポーツ放送で不特定多数の視聴者を獲得した。民放2番目の東京放送(TBS)が1955年に開局して以降、東京、大阪に新しいテレビ局が複数誕生した。1960年代には、地方の主要都市でも、テレビ局が次々と誕生した。また大都市テレビ局をキー局とし、地方のテレビ局をつなぐネットワークも複数誕生した。そして1959年の皇太子結婚式中継放送が、サラリーマン家庭を中心とした中堅層にまで受信機が普及するきっかけとなった。60年代前半は、一家に一台のテレビの時代となった。「デザセン」こと全国高等学校デザイン選手権大会は、小山薫堂氏が講師の東北芸術工科大学が開催。優勝は佐賀県有田工業高等学校。多彩な才能をもつ小山さんは、オレンジ・アンド・パートナーズの社長も務める。