厳しさとの相対において価値がある

2011.11.14

私は、やさしい人間は好きである。こうした若者たちの気持ちを大事にしてやりたいとも思うのだが、彼らのやさしさはどこか物足りない。彼らがやさしくなるのは、相手が悲惨な状況に陥っているときである。また彼らのやさしさにはオーバーなアクションをともなうし、そのアクションはグループ単位でなされるのが特徴的だ。友達が交通事故にあった、すわ、大勢で病院へという具合に、彼らのやさしさの表現は、画一的でパターン化されてしまっている。

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相手に知られることなく控え目な行為、一人静かに思いを至らせるやさしさもあるだろう。しかし、そんな機微は、彼らには複雑すぎてわからないようだ。また、やさしさというのは、それ自体に絶対的な価値があるのではなく、厳しさとの相対において価値があるのだ。厳しさを知らない彼らのやさしさは、だから物足りなく感じるのだと思う。こうした彼らのやさしさは、組織にとっても歓迎できるものではない。厳しさのともなわないやさしさは、互いの甘えにつながる。そのため、責任の所在を明確にしない、なれあいで仕事をする、公私のけじめをつけない……など、企業にとってはマイナス因子となってしまう。